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饗応

靴の中に棲むもの
あるいは
靴の中に棲まないもの
いずれかであるものよ来い と

呼べば
すべてを招くことができる
呼び声に応えて
ひしひしと詰め寄ってくるものたち

(まだ迷路は青く)
(まだ肉芽は赤く)
(まだ郵袋は白く)
(まだ遠方は黒く)

時計の文字盤の覆いを
裏返して中央に置いた
溶いた薬を注ぎ
待っていた 終点が始点を呑むのを


  *

「即興月間」2010/11/16~2010/12/16 試作品
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■について(五)

つまり■をめぐる問題は、チョコとシールのどちらがおまけなのか、という問題にも似ている。ある人は■を欲しがるから■はそのおまけにすぎず、別の人は逆に■の方がおまけだという。その実、どちらもおまけのようなものだ、と醒めたことを言う人もいる。しかしそのような人に対しては、こう反論する人がいる。「ではおまけではないものなどあるのか」。私もこの意見に近いが、しかし■と■を並べて眺めていると、いつしかそのどちらかを、より強く欲している自分にも気づく。欲する、というよりも先に、選んでしまっているのだ。そして片方を選ぶということは、もう片方を選ばないことである。どちらもおまけのようなものにすぎない、子供の束の間の欲望の対象、そのようなものとして■は私の手に載せられ、一枚また一枚と重ねられ、やがてまた取り落とさればらばらにかきまぜられる。そういう方法で愛しているのだろう。私は、■を。そしていろいろと組み合わせを変えて、日の暮れるまでの時間をつぶす。部屋が十分に暗くなってくると、■はそのまま暗さの形となる。この部屋の暗さの。それから見えなくなり、だから私はもう、これを見なくてもいい。

(終)


  *

「即興月間」2010/11/16~2010/12/16 試作品

■について(四)

それから■はたちまち■や■、■などに変化し、私は追われて暮らすことになった。追われるといっても、世間には「時間」や「生活」など形のないものに追われる人も多いようであって、そう考えると私が明確な形をもつ■に追われる方が、ずっと自然であるように思う。■が動くのは部屋の中やせいぜい半径2㎞ほどの圏内なので、逃げていると同じ所を何回も通る。つまり空間の節約になるのである。しかも追われるのは非常にスリリングな経験であるので、叫んだり、息を切らしたりもだんだんと上達する。何より重要なのは、■の刻々の変化を見きわめ、その変化を逐一追うように追われてゆくことである。たとえば明後日がいつ現時点であるか、そういう疑問に足を止めないこと、空色のドアがあったらそっとあけて覗き、見たものについては沈黙を守ること。そしてどうしても耐えられなくなったら、とある集団が運営する「裏時報」に電話し、現在時刻を告げる自動音声の主に向けて、思いのたけを吐露すればいいのである。

■■や■■■に■■の■
数えてみてください。8個です。

(つづく)

  *

「即興月間」2010/11/16~2010/12/16 試作品

■について(三)

次の■は目下、  のように見える。雪がつもったから、あるいはデリートキーやスペースキーによって偽装されているからだ。どちらと考えるかによって、その人の世界観がわかる。さらに言えばその後の運命も決まる。雪におおわれた■の上を踏むと、すべってころんで頭を打つことが多い。空白と化している■の上をそうと知らずに通ると、どんな目に遭うものか、ちょっと予測できない。それは空白を一枚の紙のようなものと考えるか、強化プラスチック板のようなものと考えるか、あるいは■さえも無になしうるそういうものとして考えるか、それぞれに結果が異なるはずだからである。言うまでもないが、  が紙であれば突き破って■に落ちる。板であればそのまま行き過ぎる。問題は無の場合であって、いったいどうなるのだろうか。肉骨粉か全国指名手配にでもならない限り、それがわかることはない、とも言われている。

また■がここにあるのだが、もう面白くも何ともなくなった。昔、学校に行く時に、いつも鞄に入れていたようなものである。鞄の中で■は■を生み、気がつくと■■になっている。無性生殖で簡単にふえるのである。学校から帰ると、とりあえず床にあけて数を数えてみる。多いからうれしい、ということも別にない。どれも同じなので、いくつか残してあとはテレビに隠す。テレビの番組の隙間に埋めるのである。中にはしつこい■もあり、「将来の夢は?」と訊いてきたりするので、「老人です」と即答できるよう練習を積んでおく。

(つづく)


  *

「即興月間」2010/11/16~2010/12/16 試作品

■について(二)

三つめの■は焦げている。私たちが毎朝ジャムを塗って食べたりするものだが、そうでなくてもいい。食べずにテーブルの上に並べて、たとえば9枚の■で作ることのできる図形のバリエーションについて数時間考え込んでいてもいい。世間には休日や病気というものがあるので、この選択肢は多くの人々に開かれているといえる。また、裏返すと焦げていなかったりするが、それを□のように表記すべきかどうか、考え始めるとさらに小人が来る。かれらに種まき、水やり、刈り入れなど一連の作業を任せ、卓上にて貝割菜を生産することも不可能ではないだろう。その耕作地が□であるかどうかは、また別の問題なのである。

■はまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
■はひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこの■をばなににたとへん

その次の■は一昨日、一瞬現れてすぐに消えてしまった。だからこの■について語れることはごくわずかしかないが、しかし何事であれ、語る前に語られねばならない。言葉を覚えるより先に話しだす赤ん坊はいないように、いかにささいな話も、まずそれを誰かから聞くことがなければ、誰ひとり語りだせないのである。というような論理をうっかり真に受けてしまった阿呆が、■を消したのだと思う。それで、何も不都合は起きなかったのだが。その晩はタケノコの水煮を買って、縦に二つに切り、徐々に狭くなってゆく節の間に、■を探していた。10℃以下だった。

(つづく)


  *

「即興月間」2010/11/16~2010/12/16 試作品
 

プロフィール

 

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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