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2013.03.25

最近、晴れた日が怖い。空の色が街に青く映りこんで見えるような、異様に美しい晴れの日が時々あるのだが、現実感を引き剥がされるような気がする。束の間の感覚に過ぎないけれど、不思議な怖さだ。

「成熟」だの「年を取ればわかる」だのという話を私が信じないのは、とっくの昔に通り過ぎたはずの穽に、何度でも足を取られる、という感覚を日常的にもっているからだ。答えを出し尽くしたはずの問いに、またぞろ付き合わされる。ちゃんと殺してきたはずの魔物に、いきなり襟首をつかまれる。何度も乗り越えてきたはずの壁が、気がつくと目の前にある。
何かをきれいに「卒業」しては直線的に先へ進んで行く、という考え方になじむことができない。解きようのない問いをやりすごす方法、まぎらわす方法は、たしかに時と経験で豊かになるかもしれない。しかしそれは問いが消えることではない。歩いている地面の一枚下にある何か、あるいは、そこに何かのないことが不意に、足元を揺らがせることはある。

晴れた日に少々現実感が揺らいで妙な気分になっても、「生活」くらいしますよ。他の日と変わりもなく。そのくらいのことは私はできるようになっている(が、それもいつ突然できなくなるか、本当は確証がないのだが)。
しかし、問いが消えることはない。消えたと信じ込むことをもって「成長」や「成熟」と呼ぶなら、そんなことが本当に可能だと信じることができない。
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プロフィール

 

岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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