スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2013.06.16

 ネットの海の中で、こんな文章を拾った。

水槽の中に金魚を入れると、脳のあちこちをつつき始めます。そうすると、自我はいやでも、自我以外の何者かが存在していることに気がつきます。



 イメージが楽しくてこの発想は好きだが、でも、たしか脳味噌には感覚はなかったんじゃないのか? 現実的に言えば(いや、そもそも「水槽の中の脳」自体が非現実的な仮定の話なんだが)、水槽の中の脳は金魚につつかれても、それを感じることができないだろう。金魚の存在を眼で見て知ることもできないだろう。
 この文章はこの後、それでもだめならピラニアを放り込んで……と続くのだが、ピラニアに齧られたとしても、脳はそれを「ピラニアに齧られた」とは感じることができない、はずだ。「水槽の中の脳」というのはそういう話のはず。
 だから、この場合に気になるのは、ピラニアに齧られていく途中で脳はそのことをどういう世界の変容として経験するのだろう、ということの方だ。そして、発想は面白いけれど残念なのは、この仮定の話の中で語る限り、その脳は最後まで「自我以外の何者か」としての金魚にもピラニアにも直接出会うことはできないのだろう、ということなのだ。
スポンサーサイト
 

プロフィール

 

岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

カテゴリ

 
 

検索フォーム

 

 
 
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。