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報告(智恵子に)(高村光太郎)

日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひするほどいやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
すつかり変つたといつても、
それは他力による変革で、
(日本の再教育と人はいひます。)
内からの爆発であなたのやうに、
あんないきいきした新しい世界を
命にかけてしんから望んだ
さういふ自力で得たのでないことが
あなたの前では恥しい。
あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄の囲の中にゐて
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外に逐ひ、
あなたの頭をこはしました。
あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変りましたが、
あの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに報告するのはつらいことです。



 敗戦後二年目、昭和二十二年五月の作という。「暗愚小伝」の一篇。
 前にふれた駒尺喜美の文章に、「ハッと思った」詩として引かれているのだが、私も驚愕した。敗戦後の「解放」を、この人はこんなふうに見ていたのか、と。「あの苦しみを持たないわれわれの変革」と言い、それを「あなたの前では恥しい」と言う、この認識の的確さと繊細さに驚く。そしてあらためて、この人が当時の日本ではいかに突出して「近代」の理念を内面化しえていた人物だったか、ということを思う。もちろん、その後には、そういう人物にまで、神武天皇が云々、といった詩を量産させてしまった日本の現実の圧倒的な力というものを思わないわけにはいかないのだが。
 しかし、駒尺喜美の文章が、「人に」に表れた結婚観の鋭さに驚くところから始まっているように、このあたりの高村光太郎の認識の力は、今から見ても十分に強い。そう言えば私の好きな海老坂武は「暗愚小伝」の詩を何度も、シンパシーを込めて引用していた。高村光太郎が直面していたような問題というのは、日本ではむしろ戦後になってようやく一般的になってきたのだろう。駒尺は「現在の女の状況というのは、智恵子と同じ状況にまでたどりついたところだと言える。当時は智恵子の悲劇は、彼女が新しい女であったから起こったのであって、一般の女は悲劇を悲劇ともしえない状況だった。」と1978年のこの本で書いたが、その通りだ。戦前の日本で、フランス留学といった特権的な体験も経て「近代」を深く内面化してしまった人物が、それとはかけはなれた周囲の現実の中で、どう闘い、どう挫折したか。その意味では、駒尺は『智恵子抄』に智恵子を抑圧した光太郎の罪の自覚を読み取ったけれど、光太郎自身もまたともに、時代と状況に敗れた一人でもあった。その限界(「限界」という言葉はこういう例にこそふさわしい。かれらなりに力を尽して闘った末の結果なのだ。)に対する痛恨、と言うべきだろう。この「報告」に流れているのも。

 最初に読んだ頃、率直に言って、高村光太郎は私にとって少しも面白い詩人ではなかった。まず、いろいろな意味で健康すぎる、こういう元気な人とはちょっとつきあいにくい、という印象があって、それは実は今でも変らないのだが、それに加えて、私はこういうストレートな思想表現を詩に求めていなかった。そういうものは散文の役目、と割り切っていたのだ。しかし今読んでみると、はっきりと思想が語られていて、その思想が五十年、百年後にも通用する、そういう詩が存在することの意義をあらためて感じる。この「報告」から得られる感動というのは、こういう内容を書かない詩によっても、こういう内容を書いただけの散文によっても、代替がきかない。
 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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