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「外」などないのだとしても

 詩は言葉の外から生まれる。と、あえて断言してみる。
 いや、言葉の「外」が言葉へと引きずり込まれる、その一回ごとに「詩」が生きるのだ、と言ってみてもいい。
 たとえ「外」などないのだとしても、このように考えてみること自体の意義を、私は否定できない。

 「外」などない、とも言える。いや、「外」はある、とも言える。要は言い方の問題だ。そして言葉が言い方の問題そのものであるなら、論理的に、言葉に「外」はない。
 にもかかわらず、ありますよ、「外」は、と私は断言してみたくなる。あるどころではない。外だらけだ。言葉にされていないこと、言葉にしがたいことの海と霧の中に、点ほどの孤島のように言葉の領域がある。私につきまとって離れない「言葉」のイメージの一つはこういうもので、これは言葉への失望と不信の経験に基づくのだが、同時に、だからこそ、探索と拡張の余地ならいくらでもある、という希望にもつながる。
 ひどくナイーヴだな、と自分でも思うが、しかし、このように考えれば、詩を生み続けられる。言葉に絶望しつくさずにすむ。使えるのだ、こういう考え方は。
 使えない思想はいらない。言葉のための言葉はいらない。生きるのに使えないものはいらないのだ、と血眼になって周囲を手探った時、その指によってたぐりよせられるもの、そこに時として「詩」もある。このように考えてみることの意義を、私は否定できない。
 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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