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『良い死』

立岩真也の『良い死』(2008年、筑摩書房)。読んでいると取っ組みあいをしているような気になる。ゆるゆるの文体なのに、おそろしく論争的。勢いで迫るのではなく、情報量で圧倒するのでもなく、つぶやくような自問自答……と見せかけて、一マスずつ埋めるように相手を追いつめていく思考の力技。

自分は他人の生存を認めるし、さらにその人を救うことさえするが、しかし自らは延命を遠慮すると言う。あなたが生きるのはかまわないが、また支持するが、しかし私はそうはしない、死ぬと言う時には、自らは他者を援助することにおいて、しかし自らはそれを拒むことで、優位を保つことになる。ここで尊厳死を選ぶ人たちは、他人に対しては命を長らえさせるという善行を行なうことがあるが、自らは潔くそれを拒絶することにおいて、自らを肯定的に価値づけることになる。この差異によって、そしてそれが選択によって効力を発揮する限りにおいては、むしろ、選択できることは価値を高める条件なのである。つまり、自分は死を選ぶことと、他の人が生き続けるのを否定しない、あるいは肯定することとが組み合わさることによって、救命という原則・道徳・価値を保持しながら(保持すると表明しながら)、自らにおいては死を実現する。この格差において死は肯定され、そのことによって自らが肯定される。それを自らが選択することにおいて、自分はその他の人よりすこし立派なのである。一方で生存の方につくこともそれなりに人間の本性として是認されている。否定されてはいない。こうして人を生かすこと、人が生きようとする欲望を肯定しさえすることさえある。けれども自分はよいという。それは遠慮であることもある。あなたは意志が強いから生きているしそれでよいが、私は弱いから死ぬのだと言うかもしれない。だが、私ならそんなになってまで生きることはしないと言う時には、それだけがあるのではない。
 これに対してなされてきた批判の一つがさきに記したものである。つまり、そのように規定されていたとしても、実際にはその規定の効果は、その人たちにとどまらない。巻き添えになってしまうというものだった。しかし、そのことと別に、たとえ行為の対象としてはたしかに私に限ったことであっても、そして実際にそのことが実現されたとしても、この言明と行ないが他者を毀損することに当たらないとは言えないのではないか。そんな状態になったら、私なら、死ぬ。もし私が××人に生まれたなら、私なら生きてはいないだろう、等。
 ××人は死んだ方がよいと言うのと、もし私が××人だったら(2)私は(私に限っては)死ぬだろうと言うのと、前者はよくないが後者はよいと言えるだろうか。例えば、私の肌が白かったら、死んだ方がましだと言うなら、それは十分にそうした肌の色の人に対する侮蔑ではないか。このような態度は意見の表明の自由という域の内側にあるのか。この人種差別の場合には、自分がそのようでありえない人たちについて言っている以上、他者への侮蔑以外のものでありえないが、しかし老いたりまた病んだりすることは、誰にも起こることであり、そして安楽死・尊厳死の場合には、実際に自らのことについて述べているのだから違うと反論するかもしれない。しかしそれに対しては以上を繰り返すことになる。私が××人だったらと言った者は××人にはならないのだから、その言葉はたんなる悪口であり憎まれ口である。しかし、安楽死・尊厳死では自分の命をかけて、本気で、そのことが言われている。(2)私なら、本当に、そうするという言明の方が強い。
 尊厳死――に限らない様々なこと――を推進する言明、行ないについて、しばしばメディアは、「差別につながるという批判がある」とか「差別につながる恐れがある」といった言い方をする。批判派、慎重派も自らそのようなことを言うことがある。そして、そんなことはない、まったくそのような意図はない、心配のし過ぎだと推進派が答える。このような構図になっている。しかし、批判する側、懸念を言う側も、このように言う時、腰が引けているのではないか。議論は決着していないのだし、たいていのことは言いたければ言えばよいと私は思うから、事態がどんなことになっているかをわかるためにも、言論を制限すべきだとは私は思わない。言いたい人は言えばよい、と私は思う。ただ、それが人、他人をけっして害してはいないとまで主張されるのなら、それは違うだろうと言う。(pp.118-120)

 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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