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「社会」を問いながらも

私はある時期から、個人の痛みや息苦しさの先に「社会」の問題があることを当然と考えるようになったけれど、そしてそれは今でも変わらないけれど、ただ、「社会」の問題を解くことによって個人の苦痛のすべてが消えるわけではないだろう、というのもまた当然のことだ。どうも、実感として、あるような気がするからなあ。体の内側から湧いてくるような苦痛というものは。
けれどその上で、それを個人の問題に閉じ込めないこと、その個人的なものと社会的なものがからみあう点に目を向けること、そのことによって、個人的な苦痛を、せめてそれ以上のものにしないようにすること、そのくらいはできるのではないか、と思う。

解放イメージって、私にはどうもあんまり明るくはないのだ。どんな社会になろうが、「生まれなかった方がよかったんじゃないかなあ」といったことをうつうつと考えながら日々を過ごす人間は一定数いるだろう。私の解放のイメージというのは、むしろそういう人間が、変に「元気さ」を求められたりしない社会、その「元気のなさ」によって極端な不利益を被ったりしない社会、個人的な苦痛を、純粋に個人的な苦痛として味わうことのできる社会だ。苦痛がなくなることはないだろうし、なくならなくてよい。ただ、現状での苦痛は、個人的な苦痛である前に圧倒的に社会的な苦痛、社会的にどうにかすることのできる部分の多い苦痛だろうと思う。それを一緒くたにして、人間の普遍的、宿命的な苦痛であるかのように語ってはいけない。文学なんて、そういうことをさんざんやってきた。そのへんも、文学の「罪」を感じることの一つだ。
 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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