FC2ブログ
 

 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

中の人

 前回書いたことと前々回書いたことが並ぶと、ものすごく矛盾した人みたいに見えるな。まあ、書くことにいちいち一貫性なんていらないとも思うのだが、あえて辻褄合わせてみるなら、こうなるか。
 つまり、他人のアカウントの中の人は、突き詰めれば「いてもいなくてもいい」のかもしれないんだけど、自分のアカウントの中の人は、やっぱり、そうじゃないでしょう?という。本当はいないのかもしれないけど、一応コミュニケーション成立してるし、いいや、といってすますことのできない唯一絶対の厄介な相手が、自分にとっての、自分の「中の人」なんだということ。

 でも、これを考えていて思ったのだが、その「中の人」をbot化、というか、「中の人」を模したbotを作ってそのアカウントで喋らせ続ける、ということはできそうだ。よくあるような引用ではなく、その人の文体や語彙、さらにはその人の考えそうなこと、言いそうなことというのを解析、設定した上で、自動的に、その人らしい発言を生産させる。こういう時に例にしたくなるのはやはり小笠原鳥類さんなので、例にしてみると、小笠原鳥類さんのあの文体とあのへんの語彙を設定しておいて、あとはその小笠原鳥類botに自動的に詩を書かせる。すると、現在では肉体を備えて存在している(はず)の小笠原鳥類氏亡き後にも、小笠原鳥類botは小笠原鳥類の詩、のようなものを書き続けるかもしれない。そしてひょっとすると、その中には肉体としての小笠原鳥類氏が存在した時よりおもしろかったり、あるいはもっと「小笠原鳥類らしい」詩がまざっているかもしれない。もちろん、どのくらいの精度のプログラムかで結果は全然違うだろうし、現時点ではいろいろ限界がありそうだけれど、想像は割と具体的にできる。
 それに、これは別にbotの出現で生じた新事態というものでもなくて、これまで人間が手動でいくらでもやってきたことだろう。長谷川町子が死んでもサザエさんは続いていく、というように。自分のアカウントの「中の人」が「いてもいなくてもいい」状態になる一つの可能性としては、こういうものがある。

 そのあたりも考えながら、それでもやっぱり残る「中の人」の問題としては何があるのだろう、あるいはないのだろう、と考え直すとおもしろい。身体の重さを、え、実は軽いんじゃない?と一瞬錯覚した後に、あらためてずしりと感じ直すのが、いいのだ。
 

Comment

 
 






(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可

 

Trackback

 
 
http://tsurishinobu.blog92.fc2.com/tb.php/345-c3150fd2
 

プロフィール

 

岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

カテゴリ

 
 

検索フォーム

 

 
 
 
 Designed by Paroday / 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。