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「障害児の母親」になったら

ブログ『Ashley事件から生命倫理を考える』より、ずいぶん前の記事だけれど。

http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/58095132.html

「重症障害児は子どもが死ぬまで親が(とくに母親が)ケアするのが当たり前」といった発想をまさに敵に回して闘ってきたのがフェミニズムや障害者解放運動、と私は認識していたので、この記事で筆者が示す不信感に少し混乱して立ちどまる。つまり、現実がまだ、それだけ重い、ということなのだろう。そうはいっても実際に「障害児の母親」になってごらんよ・・・という経験に裏づけられた不信だ。そしてそれも、残念ながら、言われれば確かにそうだろうと思えてしまう。前にも少し書いたことがあるけれど、現状の社会で子どもを生むことは、まだまだ生んだ個人にとって負担が重すぎるから。なんのかんの言って、最後は「親」や血縁上、戸籍上の「家族」に責任が押しつけられる。それを社会で、という方向に議論は進んでいるはずなのだが、たとえば自分の問題として考えて、突然「障害児の親」になっても自分の生活をそれほど犠牲にせず、親類縁者などの非公的な援助に頼る必要もなく、余裕をもって育てていけるか、というと、全くそうは思えないわけだ。筆者の児玉真美さんが考えていることと、その疑問が差し向けられているフェミニズムの問題意識とは傍目にはほとんど隔たりがないように見えるが、その間に割り込むものが、現実の重さだ。
 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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