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『The Gashlycrumb Tinies』

 昨年末に、Edward Goreyの作品集『Amphigorey』と『Amphigorey Too』を買って、年末年始にゆっくり眺めて暮らそうと思っていたのだが、結局いろいろほかのことをしてしまって、まだゆっくり眺められていない。Goreyは数年前から好きで、単行本をぽつぽつ買い集めていたのだが、きりがないのでとうとうこういうものを買ってしまった。やはり一冊ずつ絵本の形で手に取りたい気もするけれど、まあ、いくつかは持っていて感じは知っているから。柴田元幸の訳したものも数冊持っている。『The Gashlycrumb Tinies』、訳では『ギャシュリークラムのちびっ子たち』はたしか最初に買ったもので、原書と訳書と両方持っている。同じ本を二冊買ってどうする、という感じだが、AからZまで各一行、二行ごとに韻を踏みながら続く遊び歌のようなこの原文を、柴田元幸がどう訳したかは一見の価値がある(日本語でリズミカルにしようとするとやっぱり七五調が出てくるのね、ということもよくわかる)。さらに、訳書の方には解説もついていて、いきなり出会ったら少々困惑しそうなGoreyの世界への気の利いた手引きをしてくれている。
 その『The Gashlycrumb Tinies』ひとつを読んでもわかるが、Edward Goreyの毒というのはけっこう本物の毒なのだと思う。いかんせん品がよいので迫力にはちょっと欠けるが、世界をめくりあげるにはどこに針を刺せばいいか、実に狡猾に測っている眼がある。たとえば、子供を殺してはいけない、傷つけてはいけない、という規範がある。規範は所詮規範であって現実ではないので、子供がひどい目に遭うことは実際にはよくあるのだが、現在の良識はそれをそのままに、少なくとも、大人の世界の悲劇をフィクションとしておもしろおかしく消費するほどには、子供に降りかかる災難を消費してはいけない、と命じているところがある。しかしこういう規範は現実のある面を覆い隠すものであると同時に、その覆い隠されたものへのひそかな欲望をかきたてるものでもあるだろう。ひどい目に遭う子ども、傷つけられ、殺されてゆく子供を見たい。何度でも、いろんな方法で死体になってゆく子供たちの姿を見たい。私たちはどこかで、それを望んでいることがないだろうか。子どもは守られるべきもの、幸福であるべきものという規範的なメッセージにさらされればさらされるほど、不幸な子供(まさにそういう題名の作品もGoreyにある)、子供の不幸を笑って眺めたいという欲望も、その裏側に形を取り、息づき始めるのではないだろうか。
 Goreyはいかんせん上品で狡猾なので、その欲望を正面から充たすような描き方、書き方をしないが、たとえば『The Gashlycrumb Tinies』のページをめくる時、私の中に湧き起こってくる何ともいえない「愉しさ」の感覚は、その欲望との関係抜きには説明できないような気がする。さらに、Goreyの描く前時代的な背景は、子供は簡単に死んではいけない、というその規範があくまでも現代という歴史上の一時期に特有のもの、少し時代が違い社会背景が違えば、まるで存在もしなかったものであることを、婉曲に思い出させる。柴田元幸は解説でこう書いている。

19世紀のイギリスでは、悪さをした子供が悲惨な目にあう、いわゆる“cautionary tales”(教訓譚)と呼ばれる、道徳的に前向きの姿勢を打ち出した詩や物語が数多く書かれた。このアルファベット・ブックも枠組としてはそうした型を踏まえているわけだが、ゴーリーの話は教訓とも前向きの姿勢ともまったく無縁である。彼がこの本で描く子供たちは、悪さをしようがしまいが、とにかく悲惨な最期を迎える。なぜだか知らないが、とにかく世界の悪意がふりかかってくる――しかもその悪意の犠牲者が子供たちである――という点で、典型的なゴーリー・ワールドが展開されている1冊と言えるだろう。


 しかし一方で少し複雑な気分になるのは、続いてこういう文章を読む時だ。

この夏、ニューヨークのもっとも素晴らしい書店のひとつであるゴサム・ブック・マートに行ったら、例によってエドワード・ゴーリーの本はもちろん、Tシャツ、カレンダー、トートバッグ、スタンプ等、ゴーリー・グッズがずらりと並んでいて感激した。ゴサムの店主は昔からずっとゴーリーを応援していて、ゴサムはほとんど私設ゴーリー美術館でありつづけてきたのである。


 いや、Tシャツやカレンダーが、別に悪いわけではないのだけれど。しかし、そういうGoreyの毒さえも「ちょっと怖くてかわいいもの」として簡単に消化してしまう大衆社会の胃袋の方が、結局、このシャープな芸術家よりもずっと上手なんだな、という感慨めいたものは湧く。良識のむこうに広がる灰色の不条理を、Goreyのペン先は小さな切込みからめくりあげて見せてくれる。だがそれも紙の上、本の中でのこと。その本自体がその中に置かれている、もっと大きな、圧倒的に大きな不条理の世界があって、しかもその世界にはちゃんと「ゴーリー・グッズ」まであるのだ。
 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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