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真野さよについて書いた文章、について

 先日発行の『骨おりダンスっ』7号に、真野さよのことを少し書いた。この人のことは前から書きたいと思っていたのだが、今回は分量の制限もあって、本当に少ししか書いていない。何より、引用がほとんどできなかった。いい文章、硬質の緊張感があって、それでいていきいきと血の通っている、実にいい文章を書く人なのに。それは、少しばかり実物を引けば示せる。

 『黄昏記』より、卵売りの老婆が、夫の妾宅に乗りこんだ昔話を語る場面。

 「……はじめてじゃけん、西も東もわかりゃあせん、汗だらけになって夕方ようよう訪ねあててみりゃ、なんと門構えの家ですがな。会社が左前で給料がろくに出んいうて、女房子供ほりだして何が門構えか。大橋良好いう表札があるけん、ここはわたしの家じゃ。いきなり格子戸開けて上ったりました。ほたら、まあ、簾つった座敷で、大丸髷の女とさし向いでビール飲んどるんですて。刺身やらなますやら、よおけならべて、あいつは浴衣肩ぬぎにして、女は藍絞りに博多献上の帯しめとる。わたしゃ、水色の手絡ひきちぎって、つきとばしたりました。ここはわたしの家じゃ。お前は何者かい。あいつがおろおろして、これはその、女中じゃ。へええ、わたしゃ県立の、くにで一番古い女学校出とるが、日本の国で女中に丸髷結わすという話きいたことがないし、明治から日本は一夫一婦じゃ。あんたは帝国大学も出とって、そないなことも知らんのか……、わたしゃ、まあどれほど言うたりましたか。ところが女はじいっと俯いたなり、怒りもせん、泣きもせん、しぶとい奴ですぞ。その内、わたしがお便所かって出てきたら、主人が白絣に着かえとって、悪かった、女中は今夜さっそく暇をだす。しかしお前もせっかくじゃけん、博多の町を見物させたる、いうて連れて出て、宿屋へ泊ろう、いうんですわ。どうも怪しい思うて、わたしゃ一晩中あいつの袂をにぎっとったりました。はあ、お便所へもいっしょに入りましたで。ところが朝になって、つくづく俺が悪かった、ついてはこの際、お前といっしょに大阪へ帰って、七年ぶりで一人息子にも会うて将来のことも相談したい、身仕度に家へ一時間ほど行かせてくれ、いいますが。眼に涙ためてるもんを疑うては悪いが、肝腎のところですけん、ついていきました。女はおらんどころか蚊帳の中でねとりました。あいつがわたしの耳に口つけて、こそばゆいみとうな声で、こうようなつまらん女じゃ、こんどはこいつをほりだしたる。それから主人は麻の服きて、鞄さげて、博多駅で汽車にのる前に、子供への土産物買うて鞄に入れよりました。鶴の卵とニワカ煎餅、あれ、センペイいうて書いてあったですが、博多いうところはだいぶ間違うとりますのう」
 「昔のニワカ煎餅は紙箱じゃったけん、しめっとりゃあせなんだかいね」
 「それが奥さん、関門連絡船の中で、鞄といっしょに逃げられてしもうてのう」
 「気の毒なねえ、あんたも苦労しんさったねえ」
 「はあい、こんなんまだ序の口でがんす……」



 手づかみでむしり取られ差し出される個人史の一断面に、日本の近代の矛盾と混乱が乱反射しつつ映り出す。そのまぶしさに、読みながらめまいが起きてくる箇所だ。
 きっとモデルはあるのだろう。あまりにも豊かすぎる。しかしその声にきき耳を立て、方言の響きまで壊さずに書き留めた力は、まぎれもなく真野さよのものだ。
 声、音への鋭い感覚は、『枯草の手袋』のこういうところにもふと示されている。

 

 夕方が近く、ひときわ明るい西陽のなかを私は草原をよぎって、雑木林にわけ入った。二、三日こない間に、また葉がすけて、林の中の小径に落葉の絨毯はしめっぽく厚い。響くとも思えない跫音の気配に、逃げてゆく小鳥の羽音をきいた。そのあとは深いしじまだ。私は小さな切株の露をはらって、腰をおろした。風もないのに、木の葉がしきりに散りおちる。楓、楢、栗、櫟、桜……
 私はほんとうは、それらの木の名や葉の色形をよくは知らない。黄や赤やえんじや金茶や、塗り物のかけらめいたいびつな楕円形や、刻みのきゃしゃな紡錘形や、優しい手の形、おおらかな耳、つぶらな眼……虚ろに瞠った私の眼の前を、慌しくすぎてゆく夥しい木の葉たちの音のない落下。その束の間の姿に音の柔らかい名をつけて、私は愉しんだ。

 ――ひむ、れいな、みちあ、そうる、
    れいな、ひむ、ひむ、そうる、みちあ……

 高い天の庭からおりてきて、しばし、私の視界をよぎり、肩にふれ、地に還ってゆく木の葉たち。ひそやかな束の間の跫音と影。

 ――ひむ、れいな。みちあ、そうる……



 ところで、『骨おりダンスっ』の文章は、私の中ではかなり迷ったりためらったりしつつも、そこを自分でねじふせる感じで書いた箇所が多い。たとえば、「女と「書くこと」の出会い」、「女性と母性との葛藤」、こういう表現を使ってしまったこと。できれば使いたくない、という感覚ははっきりとありながら、かといって、短い文章の中でこれらに匹敵する効率的な表現を思いつけず、また、この対象についてはこういう表現をあえて使う方が歴史性を引き受けることになるか、とも考えて、使ってみたのだ。
 「女」や「女性」「母性」といった語を、本当は、私はもう使わずに文章を書きたい。語を使うことによって、こういう曖昧な概念の延命に力を貸したくないからだ。使うとすれば、それ自体を問題にし、批判する時であって、素の文で、括弧なしで使うことは、できれば、もうしたくない。
 もちろん、自分一人が使わないことによって語と概念が死んでくれるものなら、理論も戦術も何も必要はないわけだ。実際はそうではないから、正面から批判したり、横手から攪乱を試みたりしなければいけない。壊したいなら、近づいて、触れなければならない。
 今回使ったのは、括弧なしの書き方でだった。「女」や「女性」「母性」といった語が何か実体のある、自明のものであるかのように使ってしまった。書いている時もそこでためらい、今もいくらかのくやしさが残っている。できれば、使いたくなかった。
 だが、真野さよについて書く時に、この語を全くそのように使わないのは、それはそれで無理があるようにも思うのだ。そういう概念の自明性がようやく揺らぎはじめた時代に私が生きていて、それがもはや存在しないと等しくなるまでに攪乱され、解体されてゆく将来を私が望んでいるのだとしても、かつてそれらがそういうものとして「あった」という歴史が消えるわけではない。真野さよも、その描いた人物たちも、「女性」や「母性」が存在した時代の中で、それを自らも内面化しつつ、それゆえの矛盾や葛藤をかいくぐって生きた。そのことを、これらの語を使わずに、短い表現で伝えるのは難しい。
 だから、今回使ってしまったのはしかたがない。別の書き方を探せなかった私の限界だ。それに、別の箇所でもっと言いたかったことは言ったのだから。「真野さよの描く人物は時代の制約を超えない」が、「その制約の中で手探るように選択を行う人物の姿に、何か、すべての時代を軽々と超えそうなものがある」と。『枯草の手袋』に描かれているような「女性」も「母性」も、私はすでに共有していない。こういうものが共有される時代の存続も私は望まない。その意味では、『枯草の手袋』は過去の物語だ。しかし、主人公の葛藤や選択は、それをアナロジーとして読むなら、全く異なる時代や状況の中でも共感を呼ぶことがあるだろう。主人公のくみは、小説の終り近くでこのように言う。

私の将来の幸福など誰にも考えられないことだ。けれども私は選んだのだ。今日までのどの場合も、他の手によって据えられた椅子に私は腰かけてきた。でも今はちがう。私は自分で選んだのだ。私のこのさきは、自分の手で幸も不幸も選び取りたい。



 こういうふうに人間が考えることは、「女」や「男」といった概念が人間を縛ることがなくなった後の世界にも、やはりあるだろう。それぞれの時代のそれぞれの制約の中で、それを振り切って何か選択を行おうとする者にとって、だから、くみの物語は単なる遠い歴史にはならない。
 『枯草の手袋』はそこにまで届く小説だと、私は思っている。
 

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プロフィール

 

岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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