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『黄昏記』もう一度

 『黄昏記』、何回目かでまた読んでみたけれど、やっぱりよくできてるなあ、と。
 老人介護を扱った小説として資料的に語られることも多いようなのだが、私から見ると、それ以前に一篇の小説として美しい。
 主な人物は、七十八歳のやえと、同居する出戻り娘の三和。やえが今でいう認知症を発症し、生活が次第にままならなくなって精神病棟で最期を迎える。作者の経験に基づいていることも考えると、時代は六〇年代頃だろう。「痴呆老人」といった括りもまだ成立していなかった、ということが読んでいてよくわかる。
 決して長い小説ではない。半日もあれば読めてしまう。しかし、内容が豊かなのだ。やえと三和の「現在」を物語りつつ、随所に、絶妙な間合いで差し挟まれる過去のエピソードの数々。それによって、やえという人物の若い日から今に至る一つの生涯がくっきりと立ち上がる。また、やえと周囲の人々との関係、姑との、夫との、子供たちとの関係の形が。その中には、今では「介護される側」になっているやえの、「介護する側」としての姿もある。

一ヵ月ほどの予定で、三和が訪れた実家は、二人の息子に置き去られた形のやえが、病夫を抱え、看護婦と女中を相手に、眉根に険しい皺をよせ、広すぎる家の中を気負いたって駆けまわるかと思えば、急に涙ぐんでとめどもない愚痴の囚となる、といった陰鬱な取込みの中にあった。
 社交ぎらいで、人間馴れないやえは、二人の、嫁という得体の知れない他人との接触によって、他人をやみくもに怖れるようになっていた。二人の嫁は去っても、看護婦と女中に、おかしいほど気をつかい、卑屈になって、医師、マッサージ師、見舞客で多忙な家事の取り締りよりは、自分の身を粉にして働くことで、この“難局”に処しているようにみえた。
 半身不随の病人の看護は容易ではない。しかも、やえの病気ぎらいは並はずれていた。やえは病気そのものよりも病気が連れてくる厄介な事態――几帳面で規律正しい生活を乱す――を嫌っているようであった。やえの看取りには、慈愛よりもエゴイズムの匂いがした。久々に生家に帰った三和の眼には、やえの相変わらずの病魔追放の一念の性急さが、病人をよけい扱いにくくさせているように映るのであった。
 医師が快癒はむずかしいが、稀にはマッサージで多少よくなる例もあるというと、やえはそのマッサージ一つに縋り、マッサージ師の治療に眼を凝らして見入り、日に何度も見憶えの療治にかかる。そして、さあ、ようなったでしょう、足を上げてみて下さい、それだけですか、そんなはずはない、もう一度など責めたてる態度に、病人は癇癖をつのらせ、撫でさすってもらった足で、老妻の思いつめた顔を蹴りつける。老妻はいきり立って泣く。
 臥床のはじめに、とかくこの病気は不潔になりがちだから、気をつけて上げて下さいと、注意した医師の言葉を違えまいと、ひっきりなしの粗相のたびのほんの僅かのしみさえ、そのままにはおかない。総動員の大騒ぎで、大の男を抱えあげ、寝巻、シーツ、蒲団の取りかえをする。その大騒ぎを避けようとすれば、残る対策は、病人に水分をなるべく摂らせまいと図ることになる。病人は焦れて、お前はわしを殺す気か、などと自由な方の手の届く範囲のものを投げ散らして、うっぷんをはらしたりする。そんな時、三和が新入りの無責任さで蜜柑など持ってゆくと、老父は泣かんばかりに喜び、お前は親切だ、あいつは怪しからん、と皮を吐きちらして、復讐だといったりする。
 およそ正治を知るかぎりの人は、その人柄を褒め、他人にも身内にも慕われた人物だが、半身不随の病床についてからは、生涯の忍耐のうっせきをぜんぶ吐き出すように、やえ一人に我儘をぶちつけていた。いったいにこの家族は、他人によく耐える。そしてその分量だけ身内にきびしく、傷つけあう癖もある。看護婦の前では、正治は猫の子のようにおとなしく遠慮ばかりするし、とかく昼は眠って、夜のうるさい守りはやえがとりしきるので、ぴんと糊の張った白衣をきて、坐って雑誌ばかり読む暇のある看護婦は、やがて断ることになった。
 病室から他人が退くと、やえに対する病人の我儘はつのり、やえもまたよく逆らった。看護婦の代りに三和が手伝うようになっても、責任感の強いやえは、夜の世話も、汚れ物の洗濯も自分のこととして、他の者には手を出させない。またその枉げられぬ性分から、このどさくさの中にあってさえ、手に余る家の掃除も、客扱い、身繕いも、一点の乱れもないように努める。過労と睡眠不足で、やえはよく物貰いで眼を赤く腫らし、
 「あたしほど不幸なものはない」
といって泣いた。
 半身不随の看護の難題は、両便の世話につきる。それを自分から一人で負わねばいられないやえは、愚痴もまた、一人でひき受けるよりない。
 「またかいね。ああ、ああ、これほどきたない病気はない。いったい誰に似たんじゃろうねえ。あたしの身内には、こんな下品な病気にかかるものはおらなんだ。年寄りは皆、謡などうとうて品よう暮しとりんさった」
 別居家族たちはよく見舞いにきて、三和を加えて陽気に騒いでいた。やえの率直で幼稚な歎きを、大人になった子供たちは、腹を抱えて笑った。人一倍神経質で、よく気がまわりながら、やえにはどこかひとところ、童女のままに成長の止まったような稚さがあった。他人には用心したが、身内には腸(はらわた)までみせる無防備な言葉で、よく三和を怒らせもした。
 「こんなえらい目にあうなら、いっそ早う……」
と三和にすりより、声をひそめて洩らしたこともあった。
 その頃やえは六十五歳。大島の袷の袂のはしを、きちんと締めたジャワ更紗の帯の両脇にはさみ、尿瓶をかかえて、長い廊下を走りまわっていた。珍しくほとんど白髪のなかった髪が、この看病の間に、鬢のあたりから束をなして白くなっていった。


 家族の問題(に限らないかもしれないが)の厄介なところは、多くの場合、別に特定の悪人がいるわけではない、というところだ。むしろ、求められる役割を忠実に果たそうとする人々の誠意や善意が積み重なって、関係自体がはらむ矛盾を増幅してゆく。そのことを、真野さよの筆は淡々と示す。
 こういうところだけを引くと介護を露悪的に描いているように見えるかもしれないが、『黄昏記』全体の印象はそうでもない。美化はしないが、かといって悲惨を強調するのでもない、熱すぎも冷たすぎもしない視線の温度がむしろ介護小説としての『黄昏記』の魅力だ。そしてその底には、やえという人物の、卑小といえばこの上なく卑小な一つの生に対する、作者の静かな愛惜がある。
 挿入されるエピソードの一つ一つは、ちょうどアルバムに貼られた写真の一枚一枚に似ている。その時、その時のやえの姿を切り取った、すばらしく鮮やかな写真だ。中でも圧巻は、小説の終り近くで引用されるやえの女学校時代の日記だろう。物語の流れの中で突然それに出会う時の一種の感動を私は忘れられないのだが、その引用の後で、作者はこういう文章を添える。

何地ゆきけむ、と書かれた蝶は、黄ばみ毛羽だった綴じこみ帖の中で、六十年眠りつづけてきたこの女学生ではなかったか。

六十年の眠りからさめた胡蝶は、いま、やえの夢幻の中で、もはや逝くことのない春を舞いはじめたのかもしれない。


 美化、といえば、これは美化かもしれない。だが、「病気を嫌い、災厄を怖れ、要心に要心をかさねた慎重な歩行の、九分九厘の最後の一厘で無惨などんでん返しのこの事態」と語られるやえの晩年に、その一方で差し向ける言葉としては、これでやっと釣り合いがとれているようにも感じる。

 とはいえ、これは全く違う文脈で考えたいのだけれど、真野さよの作品を何度読み直しても、やはり一種の階級性の問題は無視できない気がするな。「階級」というと日本語の中では硬くなるが、要するに、『枯草の手袋』にしても『黄昏記』にしても、経済的には相当恵まれた境遇の中での「女の経験」なんだよね。たとえば「主婦」の問題を中心にすること自体が中産階級の女の経験を特権化している、といった指摘をよく見ることがあって、私はその指摘はその通りだと思うのだが、真野さよの作中の人物は、今の感覚にして、いわゆる中流ですらないかもしれない。『枯草の手袋』の背景となっている時代に、娘にピアノを習わせることのできたような家の「主婦」の話なのだ。
 そこでさらに考えれば、基本的に金には苦労せずにすむ階層の話だからこそ、金だけではすまない問題、女の自己実現の問題や、誰にも訪れる老いや病の問題を、それ自体として純粋に、少し時代に先駆けて抽出することができたのだろう。その価値を私は否定しないのだけれど、一方で、それはそういう階級的な条件の上で可能だったことでもあるんだな、と読みながら繰り返し感じるのも確かなのだ。
 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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