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藤井晴美の詩集

 藤井晴美『破綻論理詩集』(七月堂)、あるところで紹介されているのを読んで注文した。注文したばかりなので、まだ手にしていない。が、こちらで同じ作者の過去の作品を読めることを知った。これまで知らなかったのを心底悔やみながら、今読んでいる。とても面白い。
 性的な語彙が目につくので、そういうテーマに注目して読む人もいるかもしれない。でも、私の印象は少し違う。性的なテーマがどうの、といった水準をとっくに跳び越えて、言葉が暴走してるんですね。
 「メス井猿美作作文地上」より、部分。

ぼくはまったくちぢこまってしまったペニスのように力ない。たよりにならない。イジドール!くたばれ!ぼくの手が尋常でないから君などくたばれ!ぼくは疲れていなければならない。実はぼくは人間じゃないのさ。人間でもかまわない。イジドール・デュカスに何の意味がある?ええ、おい!失敗することが命の種になるということはたたみこまれた幸福を宿している始めの源泉でもあるばかばかしい一部始終はどうでもいい!これでも幸福のつもりさ。と言うのはぼくは疲れてぼくが手品だということもだんだんわかってきたからぼくは何も見ていないが、ぼくが存在しているとしよう、そんなわけで死ぬことを考えるだけで充分だということじゃないか?どうしたの?どうしたの?どうしたんだ!ええ?どうしたんだ!どうしたんだよ、おい!死んだのか?君よ。


おれはメス井猿美。……おれは生後十ヵ月でひとりで歩いた。おれは生後八ヵ月で意味のあることばをしゃべった。三歳のとき子供がどこから出てくるかちゃんと知っていた。
ぼくがなぜこんなことを書くか?それは書きたいからだ!



 あえて言ってみるけれど、私は「詩」の中では、やはり時々はとことん変な言葉を読みたい。あまり変でない言葉で書かれた良い詩もある。もちろんある。たぶんその方が多い。でも、「詩」という辺境でこそでかろうじて生息できる、といった類の奇形の言葉の姿を、いつも目の端で追ってしまう私はいるのだ。なにしろ、好きだから。
 そう書いていて思い出したが、『手帖』の投稿欄を覗いていた人はきっと覚えているはずの、藤江ひわさん。上の藤井晴美の暴走とはまたずいぶん感じが違うけれど、やはり「変な言葉」の実例をいつもあざやかに示してくれる人だった。詩集でも出れば飛びついて買う、と私はずっと思っているのだが、思潮社さん、作ってくれないだろうか。
 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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