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2012.09.02.1

 と、いうわけで(といっても何のことだかわからないと思うが)、私は「尊厳死」の法制化には絶対に反対する。この問題自体どれほど関心をもたれているのかしらないが、立岩真也が先日こういう文章を出した。

私には「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」はわからない
http://blogos.com/article/45519/

あいかわらずの立岩文体で、いい感じで脱力するのだが(「せこいことはよしてくれ、いや、よしなさい」って…ww)、ここのところまた話題になっているいわゆる「尊厳死」法案提出の動きに関するものだ。
 問題の整理や反対の理由については、立岩真也の言うことに私などが付け加えることはない。「尊厳死」法制化の問題点をさらにわかりやすく語っているものとしては川口有美子の次のようなインタビューも見かけた。

尊厳死法制化の問題点はなんだ
http://igs-kankan.com/article/2012/07/000621/

これは本当にわかりやすいのでたくさん読まれてほしいと思うのだが、わかりやすいだけに厄介な論点は飛ばしている感じもあって、私自身ところどころ同意できなかったりもする。が、それでも、これを読めば問題の要点は一通りわかる。
 なかでも、結局のところ私が一番説得されるのは、この人をはじめ「尊厳死」法案に反対する多くの人が口にする「真意は医療費削減」「金と人手のかかる病人は早く死ねということ」という身も蓋もない認識だ。私はそれが事実だと思い、「死ぬ権利」だの「自己決定」だのの議論は所詮、現状での「尊厳死」法制化がもつこの意図を覆いかくすものでしかないだろうと思っている。川口有美子のインタビューの中では、「死の自己決定」の是非には深入りせず、「「重い障害を負って生きるぐらいなら死にたい」という人が、自らの考え方(自己決定)によって治療を断って死ぬのは自由です」と突き放してしまっているが、一方で次のような一言には、どこか黒い笑いすら呼び起こす痛烈さがある。

尊厳死協会は「すでに法制化されているアメリカでは何の問題も起きていない」と言いますが、「尊厳死法制化の被害者」というのは、論理的にいって「すでに死んだ人」なんですよね。ですから、訴え出ることができません。



 「尊厳死」の名のもとに殺される人が出る。しかしその被害者は、すでに死んだ人、それも「自己決定」によって死んだとされている人である以上、絶対に「被害者」として訴え出ることができない。こうして合法的な、一見どこにも被害者のいない殺人が可能になる。「尊厳死」法制化には、障害者や難病患者の団体が軒並み反対を表明しているが、かれらはそういう展開を瞬時に、リアリティをもって見抜いている。私自身を含め、健常者の多くにはそれができない。

 少し前に、こういうものを読んだ。2chだが。

91歳女性が「自殺キット」を販売 「おばあちゃんの死ね袋、1つ5000円だよ」
http://watch2ch.2chblog.jp/archives/3786194.html

 こういう話、私は嫌いではないのだ。前に、鶴見済の『完全自殺マニュアル』がいかに楽しいか、ということを書いたことがあるが、「死ね袋」だの何だのの話でわいわい盛り上がり、よりよい自殺の方法についてあーだこーだ言いあいながら七十八十まで生きられる人生があれば、それはそれでなかなかすてきなものだろう。ヘリウムは別売だぞ5000円はぼったくり云々、こういうノリは私は好きだ。
 が、こいつらが「尊厳死」の話をしはじめると、その楽しい気分は途端に台無しになる。私の感じていた軽く涼しいシンパシーは、一転して明確な怒りに変わる。とりあえず言いたいことは一つ。おまえらの自殺趣味と「尊厳死」の話をごっちゃにするんじゃねえ、ということだ。
 こいつらが無責任に混同しているのは、2chでわいわい「自殺キット」の話で盛り上がれるような人間、つまり自分たちのような「若くて健康な奴ら」のごくまれな「自己決定」としての自殺と、老人や病人や重度障害者のような、はっきりと言ってしまえば「早く死んでもらった方が国家や社会のためになる」と見なされている人間が、その有形無形の圧力の中で「自己決定」として死を選択させられる――ということはすでに全く「自己決定」ではないのだが――「尊厳死」の名のもとの殺人だ。この間の深い断絶、立場の違いを無視して、自殺と「尊厳死」を地続きに語る発想の全てが、私には根本的に許しがたい。
 自殺そのものを批判する立場もあるだろうし、若くて健康な人間の自殺といえども、そのうちのどれだけが真に「自己決定」の名に値するかということはいくら疑っても疑いすぎることはない。たとえば現実には自殺の理由の多くを占めている「経済的理由」、場合によってはごくわずかな借金のために選ばれた自殺は、「自己決定」として肯定してよいものなのか。「自己決定」に多少とも価値を置くなら、それゆえにこそ、現実の「自己決定」の困難さと、それが容易に他者によって捏造され利用される、ありふれた危険を直視しなければならないだろう。
 自分が認知症の老人や重度障害者になったら「尊厳死」させてほしい、とかれらは言う。こういう発想自体が、当の老人や障害者にとっては差別と攻撃以外の何物でもない、というのは上のインタビューで川口有美子もこう言っている通りだ。

「そんな姿で生きながえるよりは死んだほうがまし」と言明すること自体が、すでに「そんな姿」で生きている人たちからすれば、ものすごい差別なんですよね。そして、「そんな姿」で生を送っている人は、実際にたくさんいます。「尊厳死」という言葉自体が、そういう人たちに「あなたには生きている価値がない」という、強い差別用語として機能している



 その上でどうしても、病んだり老いたりする前、「そんな姿」になる前に「尊厳死」したい、「死ぬ権利」を行使したいというなら、やったらいい。体がきかなくなる前に切腹でも何でも好きにしておけばいいだろう。今だってそれを禁じている法律はない。誰も止めてはいない。自身の狭量な差別意識に殉じるかのようなそういう死に方を、「そんな姿」と見なされた側には唾棄し嘲笑する権利があると思うが、かといっていちいち止めてやる義理はなく、できることでもない。新しい法律など作らなくても、若くて健康な差別者の多くに「死ぬ権利」は保障されている。にもかかわらず「尊厳死」法制化といった議論が出てくる時、それは必然的に、そういう恵まれた条件での「自己決定」などできない、現に病んだり老いたりしている者たちに向けられる。病気や障害によってそもそも生きにくい状態にあり、その上金や人手の不足の中で「生きていては周りに迷惑」と思わされやすい人間の目の前に、わざわざ「死ぬ権利」をぶらさげて「選択」や「決定」を迫るということだ。それは事実として、死なせる、殺すことに限りなく近づく。
 ある障害者団体の人が、「安楽死」というのは周りの人の「安楽」のことでしょう、と言っていた。生きている間にさんざん尊厳を踏みにじっておいて、死ぬ時だけ尊厳をくれる気か、とも。「尊厳死」法制化の提案の中にある、「金や人手を食いつぶすだけの人間はなるべくいなくなってほしい」という健常者社会の本音を聞き取るなら、当然、そういう解釈になる。
 「自己決定」と呼びうるものが本当にあるのか、そういう「自己」そのものが幻想ではないか、という問い方もあり、また、たとえ「自己決定」による自殺であっても否定すべきだ、その選択自体が、ただ生きていることを肯定しようとする思想に敵対するものだ、と考えることもできる。このあたりの議論は、どちらかといえばそういう「自己決定」への希求に出発している私にとって、今でも思想の根本への突きつけとしてある。だからこそ、簡単に妥協はできず、したいとも思わない。その緊張を保ったまま、私なりに考え続けたいと思っている。
 が、現状の「尊厳死」法制化に関しては、「自己決定」を単に尊重する立場からしても、絶対に認めてはいけないはずのものだろう。なぜならその結果として予想されるものが、より弱い立場の者たちの「自己決定」、生きるための条件も死ぬための条件も十分に与えられた上で、誰への気兼ねもなく、自身の欲求にしたがって選択を重ねる、そういう「自己決定」の機会を今以上に奪いとる事態としか見えないからだ。「死にたい奴は死なせてやれ」と言う同じ口で「老人や病人が増えると国家の負担が…」などと言いだす人間が少なからずいる社会で、「死の自己決定」の話は百年早い。
 そういうことで、「尊厳死」法制化には反対する。自分を含め若くて健康な差別者に対しては、かれらは死にたければいつでも死ねるので心配はいらない。そして身体が自由にならず、苦痛の中で死にたいと訴える人々に対しては、医療や周囲の者がやるべきことはまずその苦痛を可能なかぎり緩和しようとすることであって、「そうですか、では死んでください」と同意書を差し出すことであるはずがない。
 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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