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2012.09.15.2

 葬式も墓もいらない、とずっと考えているのだけれど、放っておくと勝手にそういうことをされてしまう。
 知り合いが弁護士に聞いてみたそうだが、遺言というものも、葬式の出し方というような問題まで法的に拘束できるわけではなく、結局は遺族の意思に任される。それで、たとえば本人はクリスチャンだったが仏式で葬式を出されてしまった、といった例もあるそうだ。かなりひどい話だと思うのだが。

 血縁や法的な関係より、多少とも自分で選んだ人物との関係を重視して生きたいと考えている私としては、死後の処理のような場面でも、せめてそのように生きた私自身の意思は尊重してほしい。墓などいらない、と思う程度には、死後の自分の体などどうでもいいと考えているが、だからこそ、それを私が信じもしなかった宗教や、なじみもない儀式の中で意味づけてほしくない。
 だが、そういうことをきちんと伝え、実行まで託すことのできる人物を確保することが現状、血縁や法的関係の外では、なかなか難しいのですよ。やってみようと思えばわかる。私も周りを見回して、現時点ではとても、たとえば血縁者と対立してまで私の意思を通してくれそうな人を見つけることはできない。この人にそこまでの負担を託すのは申し訳ない、とももちろん思う。葬式をしないでくれ、墓を作らないでくれ(最近は、「散骨」が安価にできるようなので、そういうのでいい)、というのは、行為としては簡単なことしか望んでいないつもりだ。が、その簡単なことが、現状の「世間」の中ではかえって難しい。
 と、こうやって書いておけば、少なくともこういうことを考えていた、という証拠にはなるだろう。もちろん、さしあたり葬式や墓の話が出る予定などないのだけれど。
 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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