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2012.10.08.1

 今読んでいる鹿野政直『兵士であること 動員と従軍の精神史』(2005年、朝日新聞社)に、浜田知明についてのていねいな論考がある。「取り憑いた兵営・戦場――浜田知明の戦後」。浜田自身が語った言葉に基づきつつ、誠実にバランスのとれた分析を加えていく書き方に好感をもつ。歴史家の文章だが、作品一つ一つにきちんと見入りながら書かれた批評・紹介でもある。
 私が最初に浜田知明の作品に興味をもった時、その思想性には注意を払っていなかった。これは少し強調しておきたいことで、私は、私との思想的な近さだけから浜田知明を知り、その作品に惹かれたとしたら、そういう態度を自分に対しても対象の作者や作品に対しても恥じるだろう。まして、浜田知明の表現は、もとより言語化の枠内に収まりきるはずもない、絵や彫刻という形式でなされている。上の文章は、もちろんそれを知りながら、繊細な手つきでその「思想」を抽出しているのだが、分析がどうなされようと、あるいは作者自身がどう語ろうと、描かれたものはそれ自体の魅力をもってころがっている。で、私はそうやってたまたま見ることのできた浜田知明の作品に惹かれたのだ。
 
 この本は借りて読んでいるのだが、他の部分も面白い。分析や主張に特に目新しさがあるわけではないが、「村の兵士たちの中国戦線」で次々と、しばしば写真つきで紹介されていく農民兵士たちの手紙のように、とにかく資料そのものの語る力が目を奪う。そしてそこに加えられる考察は、抑制を感じさせつつ、切り込むべきところには的確に切り込む。ごく一部を引いてみる(pp.175-177. 強調引用者)。

 高橋千太郎はそのなかで、村出身の年長者として、「皆様も一生懸命に御勉強成され、善良なる国民となって大いに国家の柱石たらんことを胸にきざみて努力を忘れてはなりませんぞ」と教訓を与えたのち、戦禍にさらされた中国のありさまをこう伝える。

戦乱に化した北支の状態などは実に悲惨の極度に達せるものあります。幾何万の人口に対す(ママ)都市も一人の住民の影もなく、犬子一匹もさへ居らざる所一二個所ではありません。我が皇軍のため主なる建物は破壊され、子は親と離れ妻は夫を失へ財は其の儘放棄し死体は山を築き臭気はハナを突きの感があります。内地で見る事の出来ない立派な小中学校が幾らも見えますが、先生の姿は勿論生徒らしい子供等もなく只空家のみが淋しさうに立つて居る。左様かと見れば家屋は申すまでもなく諸道具までも焼き尽くされ、鍋釜かめ類などが打破され、見るも惨々たるものであります。彼等が何処に行つたものか実に淋しいものだ。戦争中逃げ後れた支那兵の婦女子などは、土穴に隠れ、吾等皇軍を見るなり土に伏して手を合せ、お許し下されよと言ふが如く泣いて泣いて拝んで居る有様は、我々も同じ人間であり若しや当支那国に生を受けたなら、斯様な極度の惨めなうき目に会ふも免れ得ないであらう。

 日本軍による戦禍をリアルに描写したのは、想像を超える惨状が高橋の胸を衝いたからであろう。破壊のすさまじさに息を呑み、また賑いを含む破壊前の街の状態への想像を掻き立てた。学校の立派さに感歎し、泣いて拝む「婦女子」の姿に思わず身につまされている。その破壊が「皇軍」によるものであることをすらりと書き留める。だがそのように「皇軍」によってもたらされる惨状を記しつつも、高橋のペンは、その地点で反転する。中国の惨状は日本国民であることの幸せへと直結した。「我々は幸いにして皆様と生を大日本帝国に生れ会はし、民をあはれむ天皇陛下を戴きつゝがなく暮し居る幸運さよ」。同時に、みずからが破壊した結果としての惨状が、敗けた国はあわれとの感懐を誘い、敗けてはならぬとの覚悟を強めさせた。「負けた国のあはれさを見せつけられ、必ず勝ちますから御安心下さい」との類の文言(一九四〇年一月七日付、高橋善一書簡)は、随所に見える。

 

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岩尾忍

Author:岩尾忍
1980年生れ。
2010年、詩集『箱』(ふらんす堂)。

 

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